情報発信者としての責任を考えてみた

お久しぶりです。

今日は、ブログを投稿していくにあたって、情報発信者としての責任というものについて考えてみました。

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ブログのありかたについて

そもそも僕は、ブログというもの自体、考え方や好きなことなど、自分の思いを自由にネットに発信していくことができるものだと思っています。

そのうえで、他人に見てもらうことで第三者からの意見を得たり、同じ趣味のつながりを広げたり、自分の投稿が広がっていくことで承認欲求を満たすことができます。

ゆくゆくは大多数のネットユーザーに影響を与えることができたり、ブログ自体を仕事にできたりするようにもなっていくかもしれません。

しかしその一方、承認欲求やお金のために悪意のある投稿を続けたり、見知らぬ間に第三者を傷つけてしまったりする人も跡を絶ちません。

このことが気になったため、ブログで自分の思いを自由に発信していくにあたっての「責任」とはなんだろうと考えるようになりました。

情報を発信するという責任

自分の考えを発信していくにあたっては責任が伴ってきます。

もし、自分が欲望のために悪意のあるブログを発信していったらどうなるでしょうか?また、善意のつもりでもあらぬデマを流してしまったらどうなるでしょうか?あるいは、第三者への権利(著作権や基本的人権など)を無自覚に傷つける行為を行っていないでしょうか?

なぜ多くのまとめサイトが嫌われるのか考えてみましょう。彼らは多くの場合、第三者の投稿を転載したあげく意図的に悪意のある解釈を含めて拡散し、閲覧者への挑発にあたる行為によって閲覧者を増やしています。こういったサイトが悪質であるとわかっていながらも、ネガティブな情報のぶつかり合い自体が面白く感じてしまうことから心理的に見てしまう人も少なくありません。その結果、悪意をばらまくことで承認欲求や広告収入を増やしていく仕組みができあがります。

また、善意のために拡散に協力した情報がデマであると判明したらどうなるでしょうか?日常のちょっとした雑学ならまだしも、医学や自然など、直接生命に関わるテーマだったらどうなるでしょうか?それが多くの人に信じ込まれてしまったらとんでもないことになってしまうのではないでしょうか?

あるいは、第三者の権利を傷つけてしまっていないでしょうか?自分の投稿が著作権や基本的人権の侵害にあたってしまっていないでしょうか?

ときには自分の発信した情報が原因で閲覧者への大きな影響を及ぼしてしまう危険性もあります。それは閲覧者が多ければ多いほど影響が大きくなってしまいます。

このようなリスクがあるため、あらかじめ利用するもののルールを確かめたり、情報源が確かなものであるか精査し、また、閲覧者への免責事項として理解を求めるようにしていかなければならないと考えました。

こうして考えると、確かな情報、価値のある情報、誰かを傷つけない情報を発信していくことの難しさが改めてよくわかります…

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