あたりまえの人生を送れなかったから気づけた、あたりまえのこと。

※当記事は自分語りを多分に含むため、苦手な方はブラウザバックを推奨します。

僕は普通の人生を送れなかった。

幼少期は運動も友達付き合いもできなかったが、国語算数理科社会の勉強だけはそこそこできたほうだった。いきなりの自慢で申し訳ないが、僕は幼稚園の頃からアルファベットを書いたり四則演算ができたりしたらしく、将来は東京大学に行けるねって言われていた。

しかし中学では話は違った。学校に行けば殴られ、蹴られ、荷物にガムを吐かれ、休み時間は掃除用具入れに閉じ込められ、テストの時にはシャーペンの芯を全部折られ、廊下で裸にさせられ、やがて学校に行く気をなくした。

中1までは上から数えてすぐだった成績も、学校に行かなくなる直前には下から数えてすぐのところまで落ちていた。学校に行っていないのだから当然出席日数も足りず、普通の高校に行けなかった。あえて歌詞を引用すると、無敵の天才神童は中二で朽ち果てた、というのがしっくりくる。

普通に義務教育を終え、それなりの高校に入り、やがていい大学に進学し、そしていい企業に就職する。それが所謂「あたりまえの人生」だろう。

しかし僕はそうではなかった。僕はこのような人生とは見事に真逆な方向に突っ走っている。中学は不登校ドロップアウトし、高校は通信制しか入れず、Fラン大学すら入れない頭で進学を望んで専門学校に入り、就職自体には成功するも半年で退職してしまった。子供の頃から好きだったゲーム、それよりかはもう少し仕事に活かせそうな趣味、勉強したプログラミングや電子機器の知識、そして親に出してもらった普通の子供の十数倍にも及ぶ莫大な養育費、その全てを溝に捨ててしまった。

ここまで書いて思ったが、今はもはや「あたりまえの人生」を送れるほうが珍しいだろう。同じような状況に陥っているのは決して僕だけではないはずだ。

これはあくまでも「大人たちの思い描く理想の人生」であることには間違いない。

そこで僕は気づいた。

普通の人生を送れないんだったら、普通じゃない生き方をすればいいじゃん?

そう、社会にあらかじめ敷かれたレールの上を走れないというのならば、自分でレールを作ってしまえばいいのだ。いい会社に入るって夢を持つことももちろん構わないだろうが、各個人でやりたいことだってあるだろう。ゲームやスポーツで1番になりたいとか、自分の創作を世界に広めたいとか、まだこの世に存在しないものを作りたいとか、社会を変えるために身を捧げたいとか、そんな夢を持っている人だっている。

フリーターや無職とされる人の中にも、YouTuberやアイドル、創作活動などをするためにあえて定職につかない人間だっているし、ただ何の努力もしなかったが故にこうなってしまった人間もいるし、そして何らかの理由でドロップアウトしてしまった人間もいる。

人生のレールというものは、社会にあらかじめ敷かれた1本のレールだけではない。自分で夢や可能性を探し、そこに向かって努力すれば、1本だったレールに分かれ道ができるし、考え方次第で無限の分かれ道を作ることもできる。

社会にあらかじめ敷かれたレールの上を何の問題もなく走れるのであれば、特に苦しい思いをすることもなく普通の人生を送れるだろう。しかし、社会に決められた人生を歩むだけで人生楽しいだろうか?社会的には問題なく過ごせるかもしれないが、個人の人生としては楽しいだろうか?

もし仮に、これまでの人生がうまくいって、東京大学に進学することができたとしても、その先の目標は何かあっただろうか?幼い僕はただ、東大に入ることだけがゴールだと思っていた。東大にさえ入ってしまえば、社会のナンバーワンになれるのだと思っていた。

でも、東大に入った後の目標がなければ、そこでレールは深い霧の中へと突き進む。就職のことも、その後の勉強のことも、やりたい分野のことも何も考えない。そして、もしそこで初めてドロップアウトしてしまったのであれば、何事もなかったぶんだけ現実の僕以上に苦しい思いをすることになっていたかもしれない。

今の僕は社会のレールから何度も足を踏み外し、清々しいまでの脱落人生を送っている。しかし、普通の人生を歩むことができなかったからこそ、自分の中にまだ眠っている可能性を探すということができるようになったのかもしれない。

そんな僕は今、工場で簡単な非正規労働をする方法で社会復帰し、楽な仕事で最低限の給与を得ることで生活している。しかしその一方で、本当は諦めきれないエンジニアの道へ戻るために、業界の知識やよりよいコードを書くコツ、システム開発における必要な知識などを、学生時代以上に勉強している。

僕の最終的な目標は、2045年頃に迎えるとされるシンギュラリティまでに、何らかの形で人工知能の開発に関わり、やがて日本のものづくりにおける体質や手法を根底から変えていくことだ。現在の進路こそあやふやかもしれないが、最終的な目標を達成するために、目の前にある小さな目標を作っては達成し、それを積み重ねていきたい。

「どうせ社会に決められたレールの上を走るのに夢や目標を持ってどうする?」なんて考え続けてきた僕は、そもそも社会のレールの上を走ること自体ができていなかった。だからこそ、ようやく見つけた自分だけの夢や目標を見つけて追いかけ続けることを大切にしてこれからの人生を送っていきたい。

これが、僕がようやく見つけた、「あたりまえの人生を送れなかったからこそ気づけたあたりまえのこと」だろう。

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